Musica Neurochirurgianaの30年の歩み

団長 松谷雅生

五反田リハビリテーション病院 院長/埼玉医科大学 名誉教授

     脳神経外科医仲間のオケ、Musica Neurochirurgianaが30周年を祝うことになりました。感無量です。昭和62年(1987年)の初演奏のあとはこのように毎年のように演奏する団体に成長するとは思いもよりませんでした。30年も継続し、成長(と信じていますが)し続けたのは、団員の皆様の熱意と、それを強くサポートして下さった日本脳神経外科学会と日本脳神経外科コングレスの理事会、総会主催施設、および学会会員の方々のあたたかなご支援のおかげです。加えて、1999年から2014年までの16年間にわたり未熟でわがままな我々を指導しく下さった早川正昭先生(名誉指揮者)とその後を引き継いで頂いた藤本宏行先生(常任指揮者)との厳しくも楽しい練習、その後の食事とワインを堪能しながらの語らいが、我々の音楽観を豊かにして下さいました。感謝しても感謝し尽くせません。ありがとうございました。また、忘れてはならないのは、4月の連休や8月の夏休み期間に、喜々として楽器を抱えて家庭を留守にするのを許して下さった団員のご家族の方々の大いなる寛容です。団員全員を代表しご家族の皆様に感謝し、今後も見守って下さるようお願い申し上げます。

     初演奏は1987年(昭和62年)ですので団員の何名かはまだ生まれておりません。オケ誕生のいきさつと成長の歩みを簡単に記します。

     第46回日本脳神経外科学会(東京大学主催)会長の髙倉公朋教授は、学会の固い雰囲気を和ませるために芸術的な要素を取り入れたいとのお考えでした。会場(全日空ホテル)ロビーや廊下に会員の描いた絵を飾ることと、髙倉教授ご自身が学生オケ出身であることより会員による楽器演奏が企画され、東大オケOBの私は全国の大学教授と医局長宛に「学生オケの弦楽経験者」の推薦をお願いしました。驚いたことにはヴァイリン経験者が10名手を挙げて下さり、しかも5名がコンマス経験者でした。この方々を全部第1ヴァイリンに回し、最も経験豊富な伴野悠士先生にコンサートマスターをお願いしました。指揮を後の常任指揮者である早川正昭先生にお願いしましたが日程が合わず、代わりに同僚の方を推薦していただき、早川先生作曲の弦楽合奏曲「バロック風日本の四季」の第3楽章「秋」でデビュー演奏(会員懇親会)を飾りました。この「日本の四季」は、その後オケが発展する節目の年に演奏をすることになります。演奏後は懇親会に参加したため打ち上げ宴会を企画しませんでしたが、もし打ち上げをやっていればオケの組織化は数年早まり、後述の4年間の空白を避けられたとの思いがあります。演奏者には演奏御礼として、早川先生指揮新ヴィヴァルディ合奏団演奏の「日本の四季」と「調和の霊感(ヴィヴァルディ)」のCDを差し上げて大変喜ばれたことを記憶しています。

     急ごしらえの合奏団であったため組織化の相談ができないまま年を越し、第47回総会(神戸)では既に懇親会のプログラムが決まっていたこともあり演奏の機会がなく、実績をアピールできなかったことに加え主催大学に団員がいないこともあり、その後4年間は演奏の機会に恵まれないままに経過しました。

     1992年の第51回総会は鹿児島大学の主催であり、同大所属の時村洋先生(チェロ)の準備のもとに管楽器を加えた編成にてバッハの管弦楽組曲第2番を演奏しました。管楽器奏者のリクルートは再び全国の大学医局長に依頼しております。この年より二管編成のオーケストラとしての活動を開始することとなり、私が事務局長を務め、団長に髙倉公朋東大教授(当時)、コンサートマスターに伴野悠士先生をお願いし、髙倉先生の発案にてMusica Neurochirurgianaと名乗ることとなりました。当初は学会があるたびその地域から指揮者を探し、足りないパートは地元のアマチュアオケメンバーにお願いし、演奏(懇親会)当日の昼休みに合わせるだけで本番を迎えていました。すると徐々に団員の出席率が悪くなり、演奏者のほぼ半数がエキストラ奏者で占められた事態に至り、自分の楽器演奏の研鑽の場であると共に仲間との合奏の楽しみであるオーケストラの魅力が失われていきました。創生期のメンバーと打開策を相談し、常任の指揮者を招聘し指導していただく方針を定め、東京大学学生オーケストラを長く指導されていた早川正昭先生に常任指揮者に就任していただいたところ、団員の意識が変わり、合奏とはなんと楽しい行為だとの嬉しい共同認識が得られました。早川先生との最初の演奏は1999年の第58回総会(東京)懇親会でのモーツァルト交響曲40番第一楽章が予定されておりました。早川先生は「懇親会に短調なの?」とのことでしたが、団員の強い希望による選曲とのことで納得いただいた経緯があります。翌年の九州大学主催学会では、早川先生作曲の「日本の四季」の「夏」を総会懇親会で、総会直後に併開催された日独脳神経外科シンポジウム(後述の日独合同脳神経外科学会議の前身)で「秋」を演奏しました。早川先生は両曲とも我々の楽器編成に合わせて管弦楽曲として編曲して下さいましたが、その結果「秋」のチェロ独奏(荒城の月)部分が合奏に変わり、チェロ主席の時村先生が落胆していた様子を思い出します。

     2001年の第60回総会(岡山)からは、開会式の式典演奏としての契約を学会長と結ぶことができました。学会初日の朝のため聴衆は少数ですが、静かな厳粛な環境で耳を傾けて下さる学会員に演奏をする喜びが生まれ、常に早めに来場し本番前の練習風景を楽しんで下さる音楽好きな学会員の姿も見うけられるようになりました。この年は開会式演奏に加えて懇親会演奏も行い、その後の打ち上げ会にて早川先生から合宿を行い合奏の精度を上げてはどうかとの助言をいただき、翌年より夏休みを利用しての一泊合宿を始めております。

     2004年から日本脳神経外科コングレス総会からも演奏依頼(懇親会)があり、4月29日の祭日を利用しての日帰り練習(10時から16時まで)と、秋の脳神経外科学会総会演奏準備の夏合宿が年間活動として定着しました。2014年よりコングレスでの演奏は会長招宴での演奏となりました。会員全体への演奏ではありませんが、外国人招待者も含めて150~200名の方々への演奏は、総会開会式演奏とは異なり演奏会的雰囲気であり、演奏曲目の巾も広がり、オケの成長には欠かせない場となっております。

     このようにオケの活動は春秋の学会での演奏のみにほぼ限定されていますが、時には国際学会や一般の方々に楽しんでいただく演奏も行ってまいりました。

     2006年6月の第12回国際小児脳腫瘍シンポジウム(奈良)では、会員晩餐会の開会音楽としてモーツァルト歌劇「フィガロの結婚」第3楽章フィナーレとミュージカル女優(宝塚歌劇団OG)秋園美緒さんとの協演でレハール喜歌劇「メリーウィドウ」のワルツとヴィリアの歌を演奏し、海外からの参加者に喜んで頂きました。2007年10月には第66回脳神経外科学会総会(開会式演奏)翌日の日本脳神経外科学会主催市民公開講座において、ワーグナー「ニュルンベルクの名歌手」第一幕への前奏曲と、早川先生のご令嬢早川りさこ様(ハーピスト)の特別参加をいただきチャイコフスキーのバレー組曲「白鳥の湖」より5曲(オデットと王子の愛の踊り、その他)を演奏しました。この年はオケ設立後20年を経過した20周年の年にあたり、一般の方々に聴いて頂く最初の演奏になりました。2009年5月の第3回国際脳腫瘍学会(横浜)では、開会式に小児脳腫瘍患児とその家族を含む一般の方々をお招きし、開会式演奏を脳腫瘍の子供のためのチャリティーコンサートとして位置づけ、モーツァルト歌劇「魔笛」序曲とベートーヴェン/ピアノ協奏曲「皇帝」(ピアノ:須藤千晴様)を演奏し、収益を米国の''Pediatric Brain Tumor Foundation''および日本の公益財団法人“がんの子供を守る会”に寄付いたしました。

     2014年は我々にとって特別の年となりました。早川先生がご健康上の事情で辞意を表明されておりましたので、日帰り練習、コングレス演奏、合宿演奏を万感の思いで臨んできました。10月の第73回脳神経外科学会総会では、会員入場の間に早川先生作曲「日本の四季」より4曲、式典演奏としてブラームス交響曲第2番の第4楽章を演奏し、早川先生の棒で一度はブラームスを演奏したいとの団員の願いが叶いました。その日の昼休みに演奏に参加できなかった団員も含め、早川先生に感謝する昼食会を開催し多くの団員が早川先生への謝意とお別れのスピーチをされました。この学会の最終日の夕刻には、晴海トリトン第一生命ホールでの「小児脳腫瘍研究支援チャリティーコンサート」に参加しました(主催は小児脳腫瘍研究支援委員会)。第一部は早川先生の「日本の四季」から7曲と早川先生編曲「宝塚ファンタジー」を演奏し、第二部は宝塚歌劇団OG歌手によるコンサートの構成でした。ほぼ満席のお客様が来て下さり、早川正昭先生との最後の演奏会を飾ることができました。収益は認定NPO法人ゴールドリボン・ネットワークに寄付しております(このコンサートの音源は事務局に保管してあります)。

     設立当時は夢としても語らなかった海外演奏旅行も実現しました。2012年6月13日から16日までの第63回ドイツ脳神経外科学会(ライプチッヒ)の初日に行われた第7回日独合同脳神経外科学会議での開会式演奏を含む3回の演奏です。日独合同会議は日本脳神経外科学会とドイツ脳神経外科学会の公式な行事ですので、我々は日本脳神経外科学会のいわば”文化使節”の役割と同時に、演奏団員からの19演題を携えて“文武両道”の脳神経外科医として訪独いたしました。詳細は別項の報告書をお読み下さい。報告書には記載されていないエピソードを紹介します。演奏団員の中に、帰国2ヶ月後の脳神経外科専門医試験の受験者が2名含まれておりました。訪独団実行委員長の私としては、万が一彼らが落第すると、所属病院診療科長から「楽器演奏などにうつつを抜かして勉強しなかったからだ」とのそしりを受けかねません。彼らには何としても合格していただきたく、私は10名のsenior 団員に12項目の講義をお願いし、空港での待ち時間や早朝、深夜に講義をして頂きました。もとよりこの二人は学力に自信を持っての訪独でしたのでいらぬ心配だったかもしれませんが、首尾よく合格の報を聞き安堵いたしました。私事で恐縮ですが、1966年の東大オケ欧州演奏旅行のメンバーである私にとって、早川先生と共に46年ぶりに再びドイツで演奏できたことは一生忘れ得ない思い出として残っています。

     2回目の訪欧は昨年(2017年)の5月、チューリッヒ(スイス)で行われた第5回国際脳腫瘍学会での歓迎パーティーでの開会演奏(藤本宏行先生指揮)です。チューリッヒ湖畔の瀟洒なレストランでモーツァルト交響曲26番を演奏しました。前述したように第3回の同学会が日本で開催したときに開会式演奏を行った縁で、今回も会長(M. Weller教授)が我々に機会を与えて下さいました。この国際会議は4年ごとに開催され、次回は2021年に韓国ソウルでの開催が予定されています。既に会長からは演奏の内諾を得ており、韓国脳神経外科医グループとの共演を計画しています。

     2015年5月の脳神経外科コングレス会長招宴の演奏から、藤本宏行先生を常任指揮者にお招きし現在に至っております。団員登録数は少しずつ増えておりますが、一方で勤務先変更に伴い今までのように学会に参加できなくなった手練れの団員も少なくなく、オケ運営の苦労は解消されておりません。アマチュアオケの最大の特徴は豊富な練習量ですが、私たちは技術が不十分な上に十分な合奏練習時間がとれません。それでも30年を越えて活動を続け向上を目指しているのは、外科学と芸術に共通する創造性に魅力を感じているためだと思っております。団員の皆様には今まで以上に仲間との共演の楽しみに参加し、また、もっと多くの仲間にもこの魅力を伝えて新しい仲間の獲得への努力をお願いします。

(2018/10  執筆)

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