指揮者の紹介

常任指揮者 藤本 宏行氏

   中央大学文学部卒業/桐朋学園大学カレッジ・ディプロマコース修了。18歳よりコントラバスを始め、中央大学在学中に桐朋学園大学に合格  、併せて学ぶ。これまでに故上杉隆治/西田直文の両氏に師事。また、河原泰則/中田延亮/ペトル・ユウガ各氏のレッスンも受講。指揮者・西本智実氏が芸術監督を務めるイルミナートフィルハーモニーオーケストラでは設立時より参加するメンバーであり、現在はオーケストラを中心に多方面で活動中。ヴァチカン国際音楽祭への出演を始め、アメリカ・イタリア・オーストリア・ドイツなど海外での演奏も多い。桐朋学園指揮科講師でもあった上杉氏の影響から独学で指揮を始める。中央大学管弦楽団名誉指揮者の故小松一彦氏を始めとし、国内外で活躍する指揮者との共演を通じて多くの薫陶を受け、学生時代から様々な指揮者の副指揮者を務める。また、若手音楽家による自主活動のオーケストラ「Sinfonia Wisteria」を中心となって企画し、プロデュースと指揮の両面から公演を成功へと導く。

   小柄ながらもダイナミックかつ表情豊かな指揮は、演奏者・聴衆の双方から支持されている。自身が大学オーケストラの出身ということもありアマチュアの指導にも時間の許す限り参加し、多くの団体で指揮者・トレーナーとして精力的に活動している。複数の新団体の設立にも企画段階から関わるなど、その情熱と団員の目線に立った指導には定評がある。東海大学管弦楽団常任指揮者。 

2015年、Musica Neurochirurgianaの常任指揮者に就任した。

   1934年、東京近郊の市川市に生まれる。幼少の頃より楽才を顕し、6歳で最初の作品を書いた。戦時中、広島市に住んでいたが、原爆の前年に市川市に戻ったので、被爆は免れた。

   12歳の時平井康三郎氏に作曲を習ったが、東京大学に進学、在学中の作品「管弦楽のための三楽章」が認められたことがきっかけで、卒業と同時に東京芸術大学作曲科に入学、作曲を長谷川良夫氏、指揮法を渡邊暁雄氏に師事した。それまでに、オーケストラのすべての楽器をマスターして本番を経験したことがあり、オーケストレーションと、オーケストラ指導には定評がある。芸大在学中からホルン奏者としてプロのオーケストラでトップを吹くなど演奏家としても活躍していたが、卒業後、若手の弦楽奏者達と1961年に東京ヴィヴァルディ合奏団を創立、常任指揮者となる。

   1964年に東京文化会館にて自作品のみによる演奏会を開く。1966年東京大学管弦楽団の指揮者として、ヨーロッパ演奏旅行に参加し、「マリンバ協奏曲」など自作品を含むプログラムを指揮し、「オーケストラの音色作りはすでに巨匠級である。」と新聞評に書かれた。

   1971、1973、1977年には東京ヴィヴァルディ合奏団のヨーロッパ公演を実現し、原爆犠牲者に捧げる自作品「レクイエム・シャーンティ」などを含むプログラムを指揮、新聞評に「レクイエム・シャーンティのヨーロッパ初演は、この10年間で第一級の音楽的事件である。このような状況を表すことのできるジャンルは音楽しかない。」と評されるなど、感激的な大成功を収め、自作品以外の演奏に関しても「泡立つようなアレグロ、グルックの宗教性を持ったアンダンテ。これが本当のモーツァルトである。」などと絶賛され、作曲家、指揮者として、国際的に認められた。その後も、客演指揮者として、ドイツ、アメリカ、ロシア、スイスなどから度々招かれ、自作品を含むプログラムを指揮している。

   ヴィヴァルディに関する訳書やLP、CDなども出版されており、作品のいくつかは外国で出版されていて、むしろ外国で多く演奏されている。また、東宝映画「父ちゃんのポーが聞こえる」など映画音楽もいくつか担当している。

   1978年から1年間、文化庁在外研究員として、ドイツ、オーストリアに派遣され、主に古典舞踏(メヌエットやパヴァーヌなどバロック・ルネッサンス時代の踊り)を研究した。

   東京ヴィヴァルディ合奏団の常任指揮者を務めたほか、東京都交響楽団新日フィル交響楽団など各オーケストラに客演、ランパル、バウマンなど世界的なソリストとも共演している。アマチュアオーケストラにも理解があり、母校の東京大学管弦楽団を50年以上指導し、その演奏水準を高めたことで、東京大学管弦楽団名誉指揮者に任ぜられている。広島大学名誉教授。

1999年、Musica Neurochirurgianaの常任指揮者に就任し、2015年、名誉指揮者となる。

2024年8月20日、没。

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