早川正昭先生は、1999年に脳神経外科学会会員によるオーケストラの常任指揮者に就任されました。松谷先生から早川先生を常任指揮者にお迎えするという一報を受けたときに、「早川正昭指揮、東京ヴィヴァルディ合奏団、日本の四季」という語句が呼び起され、たちまち、自分の高校時代に想いを巡らせることになりました。1960年代、20世紀バロック音楽ブームが到来し、片田舎の高校生にとっても、それまでは耳にする機会がなかった様々な様式のバロック音楽の名曲が一挙に押し寄せる状況となりました。国の内外に優れた室内合奏団が誕生し、早川正昭先生が指揮されていた東京ヴィヴァルディ合奏団も早くから活躍されていました。なかでも、「日本の四季」の録音は、耳慣れた唱歌の旋律をバロックの様式で演奏されたユニークなアルバムで、いわばバロック音楽の様式の解説書のようなものでした。このレコード盤に何度も針を降ろし、繰り返し聴いていましたし、所属していたアマチュアオーケストラでもレパートリーとして取り上げていました。早川先生は、その頃から私にとっては、面識はないものの、崇敬するマエストロでした。その早川先生の下で演奏できるという期待と不安で緊張しながら練習に参加しましたが、練習のたびごとに、先生の言葉には必ず一つは目から鱗が落ちるような新しい発見があり、また、どんな曲であっても、たとえアマチュアオーケストラであっても、先生の頭の中には明確なできあがりの美しい姿があって、それに向かって、繰り返し、繰り返し指導されていることがわかりました。一度、持参した「日本の四季」のLPレコードをお見せし、愛聴盤であることお伝えしますと、「春の部分はコレッリの様式で・・・」と曲の成り立ちを丁寧に説明していただき、ジャケットに、快く、署名までいただいたことを昨日のことのように思い出されます。Musica Neurochirurgianaの早川先生の下での経験は、私にとっては、かけがいのない大切な時間でした。今までご指導いただきましたことに、感謝の気持ちとともに、心より、ご冥福をお祈りいたします。
早川先生は2024年8月20日、水戸市の病院で心不全のため亡くなられました。享年90歳であったそうで、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
早川先生は早くから音楽の才能を発揮され、6歳で最初の曲を書かれたそうです。東京大学で農学を学んだ後、東京芸術大学で作曲と指揮を学ばれ、1960年に卒業されました。その後、東京ヴィヴァルディ合奏団、次いで東京新ヴィヴァルディ合奏団を創設され、また広島大学の教授などを務められました。
脳神経外科管弦楽団へは広島大学をご定年後指導者としておいでいただき、私どもの管弦楽団のレベルを著しく上げていただきました。私はその頃新人としてオケにいましたが、無理のない合理的な教え方で私どもを引き上げていただいたことを、昨日のことのように覚えています。早川先生は特に音程の正確さに厳しい方で、何度も音程を合わせる指導をいただきました。
私どもの管弦楽団では約10年間ご指導いただきましたが、その後ご自身で指揮者を降りると言われ、留まっていただくようにお願いしたのですが、お辞めになりました。その理由が、「もし自分が病気になって指揮ができなくなると、皆に迷惑をかけて申し訳ないことになる」とのことで、その様なことは無かったであろうと思われますが、惜しまれながら引退されました。
この度90歳で静かにお亡くなりになりましたが、先生のご指導は未だに忘れられません。今後も天国で我々脳神経外科管弦楽団をご指導いただきますよう、よろしくお願い致します。 合掌
私は1994年に米国ピッツバーグ大学留学中、日本から勉強に来られた脳外科のドクターのお一人が私がフルートを吹くことを知って、「帰国されたら一緒に演奏しましょう」とお誘いを受け、松谷先生からもご連絡を頂いてからなので、おそらく1994年の徳島での総会の時の演奏が初参加だと思います。以来、30年間、脳外科総会と脳外科コングレスの時の演奏には必ず参加させて頂き、大久保での練習や三島の合宿にも大学病院勤務時代は極力参加させて頂きました。
2015年に現在の藤本先生に指導指揮をお願いするようになるまでは、早川先生に16年間もご指導をいただいたことになります。実はご指導を受けるまでは、早川先生のことをよく存じ上げず、N響ハープ奏者の早川りさこさんのお父上とお聞きして勝手に親近感を持ちました。それまでフルートは個人で楽しみでたまに吹いていたくらいでしたが、脳外科オケでオーケストラでの演奏の楽しさに目覚めてしまい、2003年に山形県酒田市の県立日本海病院に派遣されたことをきっかけに、酒田フィルハーモニー管弦楽団に入団して、益々オーケストラでの演奏にのめり込むことになり、その後、山形大学に戻ったりしたのですが、どうしても市民オケでの活動を続けたいと、当時の上司であった嘉山孝正教授に相談して、2007年に大学を辞し2008年に酒田で開業することになりました。
2007年には、脳外科オケ設立後20周年でしたか、早川りさこさんのハープに賛助出演を頂いて、チャイコフスキーの「白鳥湖」の抜粋を演奏しましたが、私はピッコロだったので、ハープのすぐ近くで演奏させていただいて、早川先生の指揮とりさこさんの美しいハープの音色に感動したものでした。このようなご縁で、早川りさこさんが山形県上山の名月荘という宿での宿泊者限定の演奏会に来られた時も、演奏を聴きに参りました。2009年の国際脳腫瘍学会では須藤千晴さんの独奏ピアノとベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」の第一楽章を演奏しました。
早川先生が体調面のことなどで勇退されて藤本先生体制になって早くも10年になりますが、2018年の脳外科オケ創立30周年記念小児脳腫瘍研究支援チャリティコンサート(宝塚OGとの共演)の打ち上げ懇親会に参加された早川先生とお話しし、ツーショット写真をお願いしたのが、直接お会いした最後となってしまいました。
種々思い出は尽きないのですが、いつもニコニコ、穏やかに、丁寧にご指導いただいて、たまにあまり出来が悪いオケに「困ったなぁ、、、」と頭をかいておられた先生の優しい笑顔が思い出されます。
音楽を愛し、音楽に愛されて、人生を全うされた早川先生。これからも我々を天国から見守ってください(2024 /9 /20記)。
私が初めて早川正昭先生指揮の演奏を聴いたのは1970年代の昔 東京医科歯科大学学生のオーケストラでオーボエを始めた頃だった。早川先生は東京大学音楽部管弦楽団の定期演奏会を指揮され その演奏会を聴きに行ったことがあった。曲はブラームス交響曲第2番ですばらしい演奏だった。当時私たちのオーケストラはまだ創立後日も浅く、近隣のオーケストラに金管などのエキストラをお願いしていた。そのような中、早川先生が指揮される東大オケの管弦の充実した響きは大変印象的だった。
Musica Neurochirurgianaでは先生の指揮で様々な機会に様々な曲を演奏させいていただいた。中でも2009年5月第3回国際脳腫瘍学会(横浜)の際に神奈川県立音楽堂で開催された小児脳腫瘍研究支援チャリティーコンサートは今もよく覚えている。演奏会のメインプログラムはベートーヴェンピアノ協奏曲第5番「皇帝」だった。練習時間が十分とは言えない脳外科医のオーケストラにも関わらず 早川先生は本番で大変力強い雄大な響きの演奏を指揮された。
2012年6月ライプチッヒで開催された第7回日独合同脳神経外科会議への演奏旅行も忘れ難い経験だった。会場はライプチッヒ市庁舎とライプチッヒ コングレスセンター、早川先生はモーツァルト交響曲26番と先生作曲の「日本の四季」から2曲を指揮された。その演奏後の舞台裏に1980年代にNIHの同じラボに留学していたドイツの脳外科医たちが突然現れ数十年ぶりの再会となった。予告なしのビッグサプライズだった。
早川先生は確か水戸にお住まいだった。 2015年12月 私は当時茨城厚生連の病院に勤務していた。そのリハビリテーションルームでの院内コンサートの様子がNHK地方局のニュースとなった。その翌春 コングレス演奏の練習の際に早川先生が「聴きましたよ」とニコニコと笑顔で近づいてこられ曲や演奏についていろいろお話しくださったことがあった。拙い演奏だったが心に響くところがあったのだろうか。 曲はロルフ・ラヴランドのユー・レイズ・ミー・アップだった。
厳しくご指導いただいたことも笑顔でお褒めいただいたことも今は唯々懐かしい想い出となってしまった。 Musica Neurochirurgianaの指揮者として長年にわたりご指導くださいました事に心より感謝申し上げます。
私ども、日本脳神経外科学会員による Musica Neurochirurgiana の名誉指揮者の早川正昭先生がお亡くなりになりました。長年にわたり私ども楽団員をご指導いただき、一人前のオーケストラに育て上げてくださいました。
早川先生は近代オーケストラで使われるすべての楽器で本番演奏会の経験をお持ちだということは夙に有名なお話しでありますが、日常ご指導の際も、楽器の特性や本番で陥りやすいピットフォールなどを非常によくお分かりいただいた上での指揮でありました。私の楽器であるファゴットも「上の a' はどうしても飛び出して聞こえるのだよね。」とか「長3和音の3音はチューナーの音よりかなり低くとるとキレイに聞こえるんです。」、「真ん中からの e-e' は繋がりにくいでしょ。」、「下の E は差音で聞こえているから空虚に響きます。」というご指導でした。
曲の構成解釈も大変緻密で理論的であり、なおかつ本番では感情が迸る若々しさを私どもに与えてくださり、いつも早川先生の指揮で演奏できて幸せを感じておりました。私どもの持っている技術をよく分かっていただいた上で、それ以上の演奏効果を常に体験できました。特に Leipzig で早川先生指揮の Mozart は、本場ドイツで吹けたこともあり、この演奏経験は何ごとにも代えがたい至福の時間でした。
今後の私どもの演奏会では、高き天より vom Himmel Hoch 見守り下さい。
心からのご冥福をお祈りいたします。